花 日 記

「巻き戻し」

雪が止んでお陽さまニッコリ

雪解しずくが 屋根から ぽたぽた キラキラ

火鉢で炭火が パチパチ ほっこり  

明るくなった 機小屋で

母が  機を織る  

キーパタン  キーパタン

少女は 傍らで本を読んだり お手玉したり  少女は私

私の  至福の時だった

 

「丹波布」

ずうっと 昔のこと

その頃の野良着は 男も女も手織り木綿だった

冬になるのを待ちかねる様に  

母は 機小屋に籠もって機を織るのだった

紺屋が 徳島産の藍染めの糸を売りに 来ていた

私のために可愛い色糸を 使って縞木綿を織ってくれた

 

フト思い出して押入から出したら藍の匂いがした

撫でたら手の平が 薄い紺色に 染まった

 

『仲間とは』

もう一人の私

つかず離れず

一緒に 露天風呂に入れる人

離れていても 気になる人

考え方が違っても お互いに尊重出来る人

価値観を共有出来る人

家族も 仲間

長い間会わなくても 昨日の話の続きが出来る人

  私は仲間がたくさんあるので とても幸せ

「糸電話」

孫と私の交換日記の名前である《小四》

「すごーく楽しい」と読んでくれるが返事がなかなか来ない

その内いっぱい 書いて呉れる事を願って続けよう

四十年も昔の事  その頃の農婦は忙しかった

三人の子供たちの心をつなぎ止めるのに糸電話を使った事を懐かしく

思い出した

 

「まあ ええ やんか」

若者の無気力 そのくせ すぐ キレる

まともな日本語 しゃべれへん

何でもケイタイばかり

大人も駄目 だめ

政治家の頭の中は 選挙と 数合わせばっかり

役人は税の無駄使い ただ飯 収賄 天下り 地位の利用

警察は論外 悪いことなら何でもあり

企業は 利益の為なら 人命軽視 自然を壊し続けている

         新聞記事より

 

「夜光虫」

機会に恵まれて1週間ほど ヨロン島へ旅をした

周囲が二十二キロメートルの小島で さとうきび とハイビスカスが

島を埋めていた

ある夜民宿の女将さんが「今から夜光虫を見に行かないか」と

誘ってくださる

「月夜でも星の出ている時でも見られないし 雨降りでも駄目よ」

「今晩がチャンス」 といって 船頭さんを呼んで下さる

客は私たち三人だけで 真っ暗な黍畑中を車を走らせ グラスボートを 出して下さった

初めは海中を スーイスーイと蛍が飛ぶように見えたが沖へ出て行くにつれて

その数を増しボートの底にも周りにも 一面キラキラ ピカピカと ダイヤモンドを

ちりばめた様 まるで夢の世界に居る様で ただ すごい すごいと叫んで居た 

 夜光虫 悲しきまでに青かりき  政子

 

「楓」 

孫娘に連れてもらって カナダへ旅行をした

 飛行機は言うまでもなく バスも 車も 商店も 楓 かえで

買い物袋も 商品も 大、小の楓の葉っぱが刷ってある

メープルシロップの瓶1個に何と楓が一三個もあった

カナダの国旗は楓である 

 

 「葉桜や ひょいと曲がれば 寺の門」 政子

京都のお寿司やさんに入った 

和服のお客さんが 「おおきに ごっつおさん」と言って出て行かはった

やっぱり京都やなー

 

曾野綾子 談

「いい人を止めると楽になる」

他人のプライバシーは「知らない」で通す

自分と同じである事を人に強要しない

取り柄で無いことも 取り柄である

だらしの無いことも一つの知恵である

不幸を人のせいにするな

世間の物差しと違う事を恐れない

つきあい方

  縛られない

  疲れない 

  重荷にならない  

  傷つかない

  失望しない

  

「チャンスに後ろ髪はない」

と孫にいつも言っている

「チャンスを逃したら追っかけても後ろ髪がないから

引き戻せないヨ』と言うのである

孫は今花の高一でマラソンに熱中している

チャンスをのがすなーとハッパをかけるこの頃である

 

『いやな言葉』老人訓

くどくなる

気短になる

愚痴を言う

心はひがむ

身は古くなる

又しても同じ咄に孫ほめる

達者自慢に人を侮る

 

トルコの思い出

家もない 人も見えない

ただ広い原野をバスは何時間もひた走る。

時々黒い点点が視野に入るだけ  羊の群れだ

そしてやっと 絨毯 工場のある町に着いた

トルコ絨毯の歴史は千年にも及ぶと聞く

 

縦糸は繭から絹糸を引き出し 縒る、

横糸は羊の毛を草木染めにし 織り娘が指で一本ずつくぐらせて模様をつけながら

織る 指の細いのが織り娘の条件だ

子、孫、ひ孫の代になっても品質は変わらないと聞く

トルコ地震であの娘たちはどうなっただろうか

 

おじいちゃん お元気ですか

私たちは おじいちゃんが 死んだと聞いて悲しくて

眠れませんでした

 おじいちゃん元気で天国へいって 下さい

そして 天国から私たちを守って下さい

  夫の葬式の席で小さな三人が一生懸命に涙をこらえて読んだ

    弔辞である

どんな偉い人の弔辞よりも今日のお別れの 言葉は尊い言葉でした長年

方々の葬式に行ったけれど 今日ほど真心あふれた葬式は初めてです と

豊林寺の和尚様がほめて 下さった

  夫は二年半の長い闘病の末 あの世へ旅立った

  最後は苦しむこともなく仏様か神様が「そんなら いつしよに

  行きましょうか」と手をかして下さったのだと 思う

    大きくて形よき茄子 馬とせん 政子 

老人よもっと怒れ

 老人大学の旅行に行った 明石大橋を見る

 バスの中で 教育長さんが「老人はもっと怒って下さい 

            子供も孫も甘やかして遠慮して言いたいことも

言わないのは、よくない

 日本のため 子の為 孫のため 社会のためだから

老人は
シャキッとして下さい

との事だった

みんなうなずいて いたが 果たして実行出来るかどうか?
 

「暇つぶし」

一言で「人生とは?」と問えば

「人生とは暇つぶしや」という

裏から見れば 「人生は1冊の問題集」とも言う

どちらも ホントウだ

一問解いてもページをくると又 難問がでてくる

みんな難問を抱えて苦しんでいるのだろうか
夫は全問解いて さっさと逝ったのかも

  まあ 何とかなるやろ「田辺聖子」
         にんげんは 「生きている」 ただ それだけで

 価値があるのだ  五木寛之


 エスさんのお孫さんが 雪山で遭難された。

三日間も 雪の中で


きっと 赤ちゃんの頃の夢を見ながら 

お母さん{亡母}に抱かれて あの世へ旅立たれた事だろう


あの世はきっと すばらしい所だろう 

早々とお迎えに来られたのだもの


でもエスさんのお気持ちを思うと涙がこぼれる 
   

    

「ボランティア」 

 { 毎日ボランティアしてもらって ありがとう ご苦労さん}

 と言ってもらった


    {えっ?}と思った

  そんなこと 思ったこと一度もないのに

戦前、、戦中 戦後、そうして二一世紀を生きてきて

その間、奉仕の一生 だった

働いて何の報償も賃金もなかったが 其れが当たり前と思い

八十年くれた、


今何の不満も不自由もない

  ボランティアのご褒美かも

日めくり

  人はみんな、その内部に一生分の日めくりカレンダーを持っている
  薄くなった私のカレンダーを意識して一枚一枚めくりながら
  輝きたい

 

「頑張れ」と言わないで

 この頃やたらに 「頑張れ」と誰も彼も言う

私も云うてから気がつく 孫が風邪を引いた

微熱があったかも わからないのに

「男や頑張って行ってこい」と少年野球にいかせた

肺炎になって入院

 夫も胃が痛いと云いながら頑張って会社を休まなかった

潰瘍は破裂寸前で 命は取り留めたが 回復が長引いた

一升ますには一升しか入らない

幼児や学校給食で あまり「頑張って食べなさい」はどうだろう?

わからないのに


   トップへ戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送